2021/08/17
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2020/09/28
ユーラシアのユートピア、キルギス。この地は砂漠や荒野の多い中央アジアで特別に緑が多く、それゆえに古くからシルクロードの要衝として栄えていました。シルクロードはいわばユーラシア大陸の大動脈であり、ヨーロッパから東アジアまでをつなぐ文明の懸け橋として、多くの国や民族が交錯しました。
キルギスにある遺跡の多くは、シルクロードに連なる中央アジアの渾然とした歴史を物語っています。様々な宗教施設の遺構や、当時の文化の交流を思わせる文物などが現在も見つかっています。
今回は、そんな中央アジアの悠久の歴史を偲ばせるキルギスの遺跡の一つであるバラサグン遺跡をご紹介します。
バラサグン遺跡は天山山脈の北麓に位置し、現在のチュイ州トクモク市の近郊にあります。キルギスの数少ない世界遺産の一つであり、遺跡に残る「ブラナの塔」はバラサグン遺跡の象徴として広く知らています。
現在周りには草原と畑が広がり、遺跡にはわずかに城塞や神殿の跡が残るのみですが、発見される遺構は当時の街の文化的な豊かさを示しています。発見される遺構は、ゾロアスター教の神殿や、ネストリウス派のキリスト教教会などがあり、バラサグンの街は宗教的に多様であったことがわかります。遺跡近くにはバルバルという人を表した岩面彫刻や、当時の人々の墓石を観察することができ、歴史好きにはうってつけの場所です。
バラサグンは、10世紀ごろから文献に名前が現れ始めました。街の創建はそれよりも古く、当時この地で商業に従事していたソグド人の手によって建設されたと言われており、シルクロードの中継地点として栄えました。唐の時代の地理書には裴羅将軍城という名前で書かれており、同じくシルクロードの都市である碎葉城(スイアブ)の近くにある都市として、当時の強力な遊牧国家である突厥の拠点であったことが記述されています。
バラサグンが都市として最盛期を迎えたのは、11世紀ごろから2度王朝の首都になったときでした。
テュルク系として初めてトランスオクシアナ(西トルキスタン)を支配したカラハン朝は、バラサグンを首都に定めました。カラハン朝はまた、テュルク系として初めてイスラム教に改宗した王朝としても知られ、バラサグンにブラナの塔が建ったのもこのころであったと言われています。
次にこの地を支配した西遼(カラキタイ朝)もバラサグンを首都に定め、名前をクズオルドと改めました。バラサグンのその盛況ぶりから、モンゴル側からゴバリク(美しい都市の意味)として呼ばれていました。
バラサグンの都市としての歴史は13世紀のモンゴル帝国の侵略によって幕を閉じます。
遺跡内に現在も屹立するブラナの塔は、バラサグンの街のミナレットであったと考えられています。ミナレットとは通常モスクに併設される建造物で、祈りの時刻を知らせるアザーンを流すための塔として使われました。また、その高さから陸の灯台としての機能もあったと言われ、シルクロードを行き交う商人たちの道標となっていたと考えられています。ブラナの塔は現在25メートルほどの高さの塔ですが、創建当時は40メートルを超える高さで、草原の中でひときわ目立つ存在であったことは想像に難くありません。塔内部には階段があり、今でも登ることが可能です。塔の上からは遺跡の周りの風景を一望することができます。
シルクロードの繁栄ぶりを今に伝えるバラサグン遺跡。今では塔の周りに草原が広がるのみですが、城塞の跡や岩面彫刻、近くの博物館に展示されている墓石など、見どころが詰まっています。
バラサグン遺跡遺跡へはビシュケクから2時間程度で行くことができますので、キルギスにお越しの際は一度訪れてみてはいかがでしょうか。