2020/09/28
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2021/10/11
中央アジア・ウズベキスタンの首都タシュケント。
シルクロードの中継地点として栄え、古代から繁栄していた都市です。
日本ではシルクロードというとサマルカンドが有名ですが、タシュケントにも歴史的な建造物が数多くあり、訪れるべき観光地がたくさんあります。
今回は魅力あふれるタシュケントの観光地を6つご紹介します!
タシュケントタワーはタシュケントを代表するランドマークです。
高さは375mで、1984年の建築当時は世界第4位の高さを誇っていました。
今でも中央アジアで1番高く、95mのところには展望台からはタシュケントの町の外の遠くの平原まで見えます。
タワーの近くにはプロフ・センターという、ウズベキスタンの代表的な料理であるプロフを巨大なカザン(大鍋)にいっぱいに作る様子を見ることができ、辺りには香ばしい香りが漂っています。
近くのプロフ専門店ではいつでもプロフを提供しており、お昼時は多くのお客さんで混み合います。
プロフ・センターとタシュケントタワーは、見た目もお腹も満足できるお得な場所です。
アクセス:タシュケント地下鉄Bodomzor駅から徒歩10分
タシュケントの中心に位置するアミール・ティムール広場は、ソ連時代には革命広場と呼ばれ、タシュケントの様々な歴史の舞台となりました。
ロシア帝国時代に建てられ、当時は総督の名前からとったコンスタンティノフ広場と呼ばれ、周辺には学校や銀行、店が並び、市の中心として人々でにぎわっていました。
広場の台座には紆余曲折、様々な銅像が置かれました。
最初は1913年にコンスタンティン・フォン・カウフマン。
ロシア革命が起こりソ連が当地を治めるようになると、カウフマンの像は撤去され、ソ連のシンボルである鎌と槌をモチーフとしたモニュメントが置かれました。
その後、一時的に台座が撤去されることがありましたが、1940年代にはスターリンの銅像が置かれました。
スターリンの死後、ソ連全国でスターリンの像が撤去されるようになり、台座は空座となりました。
1960年代後半『共産党宣言』の著者として知られるカール・マルクスの銅像が建てられましたが、ウズベキスタン独立後、マルクスの像は撤去され、現在の馬に乗ったティムールの像が建てられました。
広場の近くにはティムールの事績を展示するアミール・ティムール博物館があり、ティムールや彼の王朝の歴史を学ぶことができます。
アクセス:タシュケント地下鉄Amir Temur Hiyoboni駅から徒歩5分
青いドームがひときわ目立つチョルスー・バザールは、タシュケントで一番歴史のある、そして最も大きいバザールです。
その大きさと品物の豊富さから「想像できるものは何でも売っている」とまで言われるほど。実際ここのバザールではほとんどの日用品や食料品が手に入り、中は現地住民や観光客で混雑しています。
バザール内は、ウズベキスタンの名物であるドライフルーツやスパイスなどが山のように積み上げられ、中央アジア特有の模様のついたナン(丸パン)やシャシリク(ケバブ)の香りが辺りを漂います。その様子はまさに交易で栄えたシルクロードの市場そのもの。何も買うものがなくても様子を見ているだけで楽しめます。
もちろんお買い物を楽しむこともできます。ここではお土産物も揃います。伝統的な装飾が施された鮮やかな食器類や、ババイチクと呼ばれる人形、美しいスザニ絨毯など、ウズベキスタンならではのお土産物が盛りだくさん。
また、ソ連時代のアンティークなども並んでいることがあり、ウズベキスタンの歩んできた歴史を凝縮させたような場所となっています。
アクセス:タシュケント地下鉄Chorsu駅から徒歩5分
テリャシャヤフ・モスクという名前でも知られ、タシュケントに住むムスリムにとっての宗教的な拠り所となっているモスクです。
2007年に再建されたため外観は新しく見えますが、ウズベキスタンの伝統的なスタイルを継承した建築です。
アーチ形天井のイーワーンには緻密な装飾が施されており、ウズベキスタンの地で育まれた豊かなイスラム美術を現代に伝えています。
コバルトブルーのドーム屋根も美しく、「青の都」サマルカンドにも勝るとも劣らない壮麗な建築となっています。
隣接の図書館には「ウスマーン写本」と呼ばれる世界最古のクルアーンの写本が収蔵されています。
この写本はこれまでに奇妙な運命をたどりました。
写本の持ち主であったウスマーンは暗殺によって命を落とし、この写本にはそのウスマーンの血痕が残されていると言われています。
写本はその後現在のイラクのクーファに移りましたが、ウズベキスタンの英雄ティムールがクーファを侵攻した際にサマルカンドへ持ち帰りました。
サマルカンドがロシア帝国に編入された後はサンクトペテルブルクに行き、最終的に今のタシュケントに移されました。
モスクの近くは広場になっており、イスラム教の学校であるマドラサや、同地にゆかりのある詩人や哲学者の霊廟などが建っています。
いずれもタシュケントの優れた都市文化を今に伝える貴重な遺産です。歴史に興味がある方は一見の価値ありでしょう。
アクセス:バス停Kalkavuz kanaliから徒歩7分
日本人として外してはならないのは、このナヴォイ劇場です。
この劇場はソ連時代に建てられたもので、主にオペラやバレエなどが公演されています。
この劇場の仕上げ工事を行ったのは、旧日本軍の兵士です。
第二次大戦の敗戦時、多くの日本兵がソ連の捕虜となり、ソ連の各地域へ労働力として派遣されました。
いわゆる「シベリア抑留」ですが、一部は中央アジアへ派遣され、そのうちの一団がこのナヴォイ劇場の建築に従事したのです。
建てられた劇場は頑丈で、1966年に起きたタシュケント地震では多くの建物が倒壊するなか無傷であったため、住民の避難所としても機能しました。
劇場には当時の日本人を称えるプレートが建てられています。
市内には当時、ウズベキスタンの地で命を落とした日本人が埋葬されている共同墓地があり、日本人としてはこちらも外せない観光地の一つです。
アクセス:
(ナヴォイ劇場)タシュケント地下鉄Mustakillik maydoni駅から徒歩11分
(タシケント抑留日本人墓地)バス停Gematologiya institutiから徒歩5分
ウズベキスタンの歴史を知るには、ここを置いて他にはないでしょう。
ここでは石器時代から近現代に至るまでウズベキスタンの歴史をまとめて見ることができます。
ウズベキスタンで発見された古い仏像なども展示されており、シルクロードの文化の多様性を今に伝えています。
2-3世紀ごろに作られたと考えられている阿弥陀三尊と呼ばれる仏像が特に有名です。
アフガニスタンとの国境の近くにある町テルメズの遺跡から発見され、テルメズの起源はアレクサンドロス大王の時代にまでさかのぼると言われています。
一時は仏教が栄え、西遊記で有名な三蔵法師が記した「大唐西域記」には呾蜜という名で多くの仏教寺院があったことが記録されています。
博物館では他にも多くの歴史的な文物が展示されています。
ウズベキスタン、そしてシルクロードの歴史を学ぶには、まずはここを訪れることをおすすめします。
アクセス:タシュケント地下鉄Mustakillik maydoni駅から徒歩10分
観光地というと少し違いますが、タシュケントの地下鉄もまた一見の価値があります。
1977年に開業した歴史ある地下鉄で、中央アジアで最初に開通した地下鉄として知られています。
旧ソ連国の地下鉄のなかでもタシュケント地下鉄内の装飾はひときわ豪華で、駅ごとに異なった意匠が施され「世界で最も美しい地下鉄」とも言われています。
以前は防犯上の理由で写真撮影が禁止されていましたが、今では解禁され自由に撮影が可能となっています。
料金は1回の値段が決められている回数式の運賃となっており、一回の運賃は約15円ととても安いので、タシュケントの町をお得に回ろうと考えればタシュケント地下鉄が最適の乗り物です。
この記事で紹介した主要な観光地にはタシュケント地下鉄で行くことができます。
タシュケントは、ウズベキスタンの今と昔が交差する不思議な町です。
街並みはソ連時代に現代風に作り変えられたこともあり、歴史的な建造物や有名な観光地などではサマルカンドやブハラといった都市に及びませんが、ウズベキスタンの今を知るには最適の場所です。
是非一日、タシュケントを観光する日を設けてみてください。予想外の発見がありますよ!