2020/09/28
イシククル湖周辺の観光スポット5選
キルギスの東方に位置する湖、イシククル湖は、その透明度の高さから「シルクロードの真珠」と呼ばれ、キルギスのみならず隣国カザフスタンやロシアからも観光客が訪れます。湖岸はリゾート地として整備されているところもあり、夏には […]
2020/10/05
トルコがあるアナトリア半島は、ヨーロッパとアジアの境目にあり、文明の十字路として多くの民族が興亡を繰り返してきました。 アナトリア半島で最初に栄えた文明はヒッタイトでした。彼らは世界で初めて製鉄の技術を確立したと言われ、当時の強国であるエジプトやメソポタミアの諸文明としのぎを削りました。 ペルシアやギリシャの支配を受けたあと、アナトリア半島はローマ帝国の領土となりました。ローマ帝国は首都をローマからコンスタンティノープル(現イスタンブール)に遷し、大国の中心地として大いに栄えました。ローマ帝国が東西に分裂したあとは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として発展を続けました。
東ローマ帝国の支配が衰えると、東方からチュルク系の言葉を話す人々がアナトリア半島に移り住むようになりました。この人たちは今のトルコ人のルーツとなる人々です。彼らは次第に東ローマ帝国を圧倒するようになり、最終的には彼らが建国したオスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼし、アナトリア半島を支配するようになりました。オスマン帝国はその後拡大を続け、最盛期には、その領土は北はハンガリーやウクライナ、西はモロッコ、東はアゼルバイジャン、南はイエメンに至り、ヨーロッパ、アジア、アフリカに跨る大帝国となりました。
オスマン帝国はその後衰退し、第一次世界大戦の敗北などもあって支配領域を大きく減らしていました。最終的にムスタファ・ケマルが主導したトルコ革命によってオスマン帝国は倒れ、現在に至るトルコ共和国が建国されました。