2020/09/28
青の都サマルカンド 定番観光地5選
シルクロードの中継地点として栄えたサマルカンド。西安からイスタンブールまでをつなぐシルクロードのちょうど中間地点にあるこの都市は、文明の十字路として多くの人が行き交い、独特の文化を育んできました。そして今でもウズベキス […]
国名:ウズベキスタン共和国
首都:タシュケント
言語:ウズベク語
面積:448,978㎢
人口:3,280万人(2018年)
通貨:スム(UZS)
ウズベキスタンの面積は447,400km2で、日本の約1.2倍の大きさを持っています。国土は大きく平地と砂漠が広がる西部と、山と盆地がある東部に分けられます。 砂漠は国土の約8割を覆っており、砂漠のエリアには国内に流れる二つの川、シムダリヤ川とアムダリヤ川の流域を中心にオアシス都市が点在しています。この二つの川はどちらもアラル海へ注いでおり、ウズベキスタンの農業を支える重要な河川です。 また、ウズベキスタンは世界でも珍しい二重内陸国で、国内から外洋に出るのに2回国境を越えなければなりません。
ウズベキスタンの人口は約3212万人で、これは東京・埼玉・神奈川の3つの県都の人口を足したぐらいの人口です。中央アジアの中で最も多く、ウズベキスタン一国で中央アジアの人口の約半分を占めています。 都市の人口も多く、特に首都のタシュケントには200万人以上の人々が住んでおり、中央アジアの中で最大級で、ロシア含むCIS諸国の中でも4位の人口を誇っています。
ウズベキスタンの公用語はウズベク語です。ウズベク語はチュルク系の言語で、トルコ語と同じグループに属しています。また、中国の新疆ウイグル自治区で話されているウイグル語とは非常に近い関係にあり、お互いの言語で意思の疎通が可能であると言われています。国内の7割以上の人々がウズベク語を話しています。 また、国内ではソ連時代に公用語であったロシア語も通用します。ロシア語はソ連からの独立時に公用語から外されてしまいましたが、今でもウズベク語が第一言語ではない民族間の共通語として機能しています。
サマルカンドやブハラなどの歴史的な都市では、隣国タジキスタンの公用語タジク語が広く話されています。統計上はタジク語の話者人口は全体の4%ほどにすぎませんが、実際には20~30%近くの話者がいると考えられています。 そのほか、ブハラに住むユダヤ人が話していたブハラ語、カラカルパク語などが話されています。
ウズベキスタンでは90%を越える人々がイスラム教を信じています。街にはモスクが建ち並び、古都サマルカンドではビービー・ハーヌム・モスクなどを始めとするモスクや廟が数多く点在しています。 イスラム教以外では、ロシア人を中心としてキリスト教のロシア正教会や、一部のユダヤ人がユダヤ教を信仰しています。
ウズベキスタンは、他の中央アジア諸国と同様、多くの民族が暮らしています。 主要な民族はウズベク人で、人口の約8割を占めています。そのほか、タジク人、ロシア人、カザフ人、カラカルパク人、クリミア・タタール人などが住んでいます。カラカルパク人はウズベキスタン西部に自治共和国を持っており、ウズベキスタン内でありながら独自の憲法を持っています。
ウズベキスタンの地は、中央アジアの砂漠地帯を東西に貫く二つの川、アムダリヤ川とシルダリア川の間の地を中心としており、古くはマー・ワラー・アンナフル(「川向こうの地」の意味)と呼ばれていました。この川の周りに灌漑システムを発達させたオアシス都市が成立し、シルクロードの重要な中継地点として歴史的に発展してきました。同時に、シルクロードの富が集まるこの地は、常に東西の大国の脅威に晒された地でもありました。
ウズベキスタンの地は古くからイラン系の民族が住んでおり、イラン系のソグド人はこの地を中心として商人として活躍しました。彼らの名前は紀元前8世紀のアケメネス朝ペルシアの歴史書にも登場しています。また、ブハラやサマルカンドといった歴史的な都市はこの時代からあったと言われています。ソグド人は遊牧民帝国や中国、ペルシアなど支配権が揺れ動く中で長く活躍しますが、彼らの活躍は750年に起きたタラス河畔の戦いでイスラム王朝であるアッバース朝が唐に勝利したことで終わりを迎えます。イスラム王朝の下でも発展は続き、特にブハラはイスラム世界の学問・文化の中心地として多くの学者を輩出しました。また、この時期にウズベキスタンの地のテュルク化が進んでいきました。 モンゴル帝国による征服・支配によりウズベキスタンの地は一時的に衰退しますが、ティムールが興したティムール朝の下で新たな繁栄を迎えました。首都のサマルカンドでは美しいモスクが建てられ、マドラサ(イスラム学院)では学問が奨励されました。
16世紀ごろになると、ウズベキスタンの地にウズベク人が住み始めました。彼らはウズベキスタンにあるオアシス都市を中心としていくつかの王朝を興しました。 その後、ロシア帝国の支配下に入り、ソ連崩壊までロシアによる統治が続きました。ソ連崩壊後はウズベキスタン共和国として独立し、今に至ります。
中央アジアの味覚を代表する料理であるプロフ(ピラフ)は、ウズベキスタンが本場だと言われています。プロフは中央アジアに古くからあるお米料理で、中央アジア版炊き込みご飯とも言える料理です。ウズベキスタンには数多くの種類のプロフがあり、街中ではカザンと呼ばれる大きな鍋にたくさんのプロフを作っています。ニンジンによって色のついたお米から醸し出される味わいは独特で、お米料理ということで日本人にもなじみやすく、やみつきになること間違いなしです。 地域によって少しずつプロフの作り方や材料が変わりますので、においを頼りにおいしいお店を探してみましょう。
ウズベキスタンにある都市の多くは、シルクロードの交易によって古くから栄えた都市です。サマルカンドはその代表例で、街には古い建造物が軒を連ね、街が丸ごと世界遺産に登録されています。市内にあるシヨブ・バザールでは、シルクロードの時代から人々が集い、今でも昔と変わらない賑わいを見せています。
サマルカンドの西に位置するブハラもまた、古くからシルクロードの交易都市として知られた街です。こちらも街が世界遺産に登録されており、街はまるでイスラム建築の見本市のようです。青く輝くモスクのドームや、門のように突き出たイーワーンと呼ばれるアーチ、祈りの時刻を告げるミナレットなど、ウズベキスタンの地ならではのたくさんの建物を見ることが出来ます。 どちらの都市もタシュケントから高速鉄道で行くことができますので、タシュケント・サマルカンド・ブハラの三都市を巡るコースがおすすめです。
ウズベキスタンのおすすめのお土産は、スザーニと呼ばれる刺繍製品です。スザーニはウズベキスタンの地に古くからあった刺繍で、昔は結納品として結婚式などで用いられました。植物や太陽・月などをモチーフとした、きめ細かな模様が特徴的です。都市によっても少しづつ模様が異なり、ウズベキスタンを象徴する伝統的な工芸品として知られています。バザールではたくさんの種類のスザーニが売られていますので、気に入るものがあれば是非購入してみましょう。
ウズベキスタンのもう一つユニークなお土産として、ババイチクというものがあります。ババイチクのババイは「おじいさん」という意味で、その名の通りババイチクは、ウズベキスタンのおじいさんをかたどったかわいらしい人形です。伝統的な衣装を着てにこやかに微笑むババイチクを見れば、自然と心が和やかになるでしょう。日本の七福神の布袋や恵比寿に似た親しみやすいデザインなので、ご年配の方にも好まれるお土産です。
ウズベキスタンまでは、成田から首都のタシュケントまで、ウズベキスタン航空による直行便が運航しています。フライト時間はおよそ9時間です。また、ソウルやイスタンブールを経由する便もありますので、時間に余裕があれば経由地でも観光を楽しむことが出来るでしょう。